姑息の意味と英語(temporary)

言葉は生き物だ。時代とともに変遷する。
例えば、「からだ」も"body"も古語は死体を意味する。
凄くもawfully, terriblyももともとは恐ろしくだが、現代では非常にと言う意味だ。
また、すごい暑い、awful hotのように形容詞を口語では形容動詞、副詞的に使う事が有る。
しかし、日本語は他の言語より変化が大きい、と若い頃読んだ言語学に関する書物か何かで読んだ気がする。その原因としてフランスなどに比べて、自国語に対する自信の無さを挙げたものもあったと思う。何しろ、戦後直後では、小説の神様と言われた志賀直哉が自分はフランス語のことはよく知らないが、日本語をフランス語に変えた方がよいと発言したくらいだ。色々理由はあったであろうが、悲しいかな、事実だ。
先日、TVで多くの日本人が元の意味とは逆の意味と思っている言葉の紹介をしていた。その一つが標題の姑息である。姑息な手段とか姑息なやつとか、卑怯なとかずるいとかのイメージがあるようだ。
しかし、一つ一つの漢字は女に古い、「しゅうとめ」と「自」(=鼻)+「心」(心臓)の組み合わせであり、息は”心臓の動きに合わせ、鼻からいきを出し入れすること”とある。
どうも、卑怯とはつながりを感じない。辞書を見ると、「姑」は少しの間(年配の女性はどうしても保守的になりがちで、現状をそのままにしておこうと主張することが多いところから)、「息」は休むを、それぞれ意味し、「姑息」は一時しのぎ、英語ではtemporaryに相当することが分かる。一時しのぎから卑怯との間は意味に結構距離があるが、変化してきたのは分かるような気がする。一方、temporizeは一時しのぎの策を取る、その場を取り繕う、時間をかせぐ、世論に迎合するいう意味で、”卑怯”とまでは行かないが、近いところまでは意味が派生しているようだ。その場の状況で不本意ながら間に合わせの対応をせざるを得ないことはあるだろうが、それに対する気の持ちようが内外で違っているのかもしれない。
自信が無いときはおどおどし、臆病者となる。英語ではcowardが該当するが、cowardには卑怯という意味もある。日本語的にはそこまで意味が広がるか?というところ。
物事に対する責任の取り方についても意識が違っている。
オリンピックで銀メダルをとっても謝ることについては、以下のようなコメントがある。

日本選手はなぜ謝るのか/為末大学
為末大 [2016年8月20日9時33分

上杉隆の「ニッポンの問題点」 『 なぜ日本人五輪選手は謝罪するのか? 』
2016-08-20 12:00

私自身の拙い経験の中では、大昔、台湾から留学して来られた方に言われたことがある。
”日本人はずるいです。(言葉では)謝っていても、本当は心から謝っていない。中国人は謝ったらおしまいなので、自分が悪いと分かっていても相手が分かるまでは決して謝らない。”
彼は旧日本統治時代の体験を有する父親から”日本人はみんないい人だ。”と言われ続けて育てられたそうだ。しかし、実際に日本に来てみると色んな人がいる。帰国して父親に、つらい状況を話すと、そんなはずは無いと言われたそうだ。そんな中での発言だったと思う。研究室の部屋が暫く同じであった。その方は、帰国後大学の教授になられ、今は名誉教授の称号を得られているようだ。長い間お会いしていない。再会したいものだ。

・・・あらためて、姑息とtemporaryの意味が派生した方向の内外での違いが分かるような気がする。

色々な考えや事情はあろうが、国際社会での自分の立ち位置を意識しながら行動することは必須であろう。

※このブログを見て、日本語は非論理的だと言ってこられた方があった。非論理的では意思は伝わらない。日本語を使っている人が非論理的では?と思うが、追って書きたく思う。



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